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クリスマス
クリスマス(降誕祭)を迎える12月は、欧米では、特別な思いを特って迎える月です。
クリスマスの4週間前の日曜日から始まるアドベント(降待節)から本格的に家の中の飾り付けが始まり、ツリーやリース、クリスマスプディングに贈り物の準備……
忙しいながらもクリスマスを待ち望む幸せな時節。
今年はどんなイメージのクリスマス演出にしましょう。
アドペント・クランツはドイツの牧師が子供たちのために考案
十二月二十五日は、古代の暦では、この日を境に光を増す太陽を祝う冬至祭だった。四世紀にキリスト教会は、慣れ親しんでいる冬至祭の日に、キリストの誕生日を据え、十二月二十五日から一月六日までの十二日間をクリスマスの祝祭とした。
クリスマスに飾るグリーンは、冬至祭で太陽の力や魔よけの護符として飾われた常緑樹の枝から由来する。 そのひとつであるクリスマスツリーは、北西ヨーーロッパのケルト人やゲルマン人が、モミの枝を戸口に立てかけて、太陽の生命力を家に呼び込んでいたものを、キリスト教が取り入れて生まれた。 ハ世紀、ドイツにキリスト教を布教した聖ボニファースは、冬至祭のモミを指さし、「冬でも常緑のこの木こそキリストの永遠の生命を象徴する」と民衆に説いたという。ここからモミは、キリストの誕生日にふさわしい木となった。その後、モミは、中世のクリスマスで寸劇の舞台に立てられ、パラダイスツリーと呼ばれたが、あくまでも、ドイツの一地方の習慣に留まっていた。これが、十七世紀になると、プロテスタントの教会を中心に、リンゴやビスケット、キャンドルを吊るしたクリスマスツリーが飾られるようになる。木に物を吊るすのは、神への捧げ物を吊るしたゲルマンの伝統だ。
クリスマスツリーは、十九世紀以降、アメリカヘはドイツ移民が、ヨーロッパヘはドイッ王族が紹介した。イギリスでは、ヴィクトリア女王の夫でドイツ人のアルバート公が、ウィンザー城にモミを飾り、ツリーを囲んだロイヤルファミリーのイラスト記事が大きな反響を呼んだ。この図は、家庭を尊重するヴィクトリア時代の中産階級の価値観と一致し、ツリーは、家族で過ごすクリスマスの新しいシンボルになる。
クリスマスリースの起源は、古代ローマで神や英雄に捧げられた常緑樹のリース。キリスト教会は、異教を排斥したが、常緑のリースは、キリストの永遠の生命を表すと解釈して認めた。こうして、セイヨウヒイラギ、モミ、ゲッケイジュ、ツゲ、キヅタ、ローズマリーなど生命力を表す常緑の枝でクリスマスリースは作られるようになる。 なかでも、セイヨウヒイラギは、その常緑に生命力が、トゲには悪霊を追い払う力があるとされ、冬至祭で信仰されていたが、キリスト教会は、常緑の葉はキリストの生命、赤い実はキリストの血、トゲはキリストの受難を表すシンボリズムを与え、クリスマスの樹木にした。 今でもケルトやゲルマンの伝統が残るイギリス、フランス、ドイツでは、クリスマスのグリーンにヤドリギが加わる。古代から、冬至の頃のヤドリギは、太陽の精霊とみなされ、幸運の印にされてきた。他の枝と混ぜてリースを作るが、イギリスには、球状の枠からヤドリギを垂らして、天井から下げるキッシング・ボウがある。
キッシング・ボウは、ヤドリギの下にいる女性は、男性からのキスを拒めないという大衆的な娯楽を生み、この異教の迷信は、庶民に大変人気があった。しかし、その異教性から、ヤドリギは教会に飾られることはない。 これとは反対に、キリスト教の宗教生活の深まりから生まれたのが、て八三三年、ドイツのハンブルグの牧師が子供たちのために考案した、アドペント・クランツだ。四本のキャンドルを立てた常緑のリースを、天井から下げたり、テーブルに置いて、一ヵ月前から日曜日ごとに一本ずつキャンドルに火を灯す。幼児の頃からクリスマスを迎える楽しみを教える飾りとして、ドイツのフローリストでは一般的だ。 光が乏しく、自然界が一年で最も弱まるとき、青々と茂る常緑の木々は、太陽であり、生命であり、救世主の誕生を人々に感じさせた。古くから樹木の種類に厳密な決まりはなく、現在のクリスマスツリーも、モミ、トウヒ、マツ類など、国によって多少異なる。 クリスマスカラーは、この緑にキリストの血を表す赤だ。大きく鮮やかな赤い花によって祝祭気分は盛り上がるため、フラワーアレンジでは赤いアマリリスがよく使われる。鉢物は、一時期のシクラメンから今はポインセチアが主役だ。
日本では、クリスマス装飾は二十五日を過ぎると正月飾りに代わるが、キリスト教国では、クリスマス期間が終る前日の一月五日に取り払う。 一ヵ月以上に渡るクリスマス商戦。リースを作り、ツリーを飾り、アドペント・クランツに火を灯す。見慣れたクリスマスの装飾にも、重層的なヨーロッパ文化が凝縮して詰まっている。

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