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イギリスの母の日はイースターの2週間前の日曜日


母の日は、本国のアメリカでも歴史は浅く、百年にも満たない。
五月の第二日曜日が母の日となったのは1914年だが、その七年前の1907年、教会の日曜学校の教師アンナ・ジャービスは、亡き母の二回目の命日である五月九日(この年は第二日曜日)に、母が最も好んだ白いカーネーションを胸につけて、母性愛に感謝する礼拝を催していた。
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アンナの母リーブス・ジャービスは、南北戦争時に母親たちの奉仕活動を率いて、南北陣営の和解に力を尽くした人だ。リーブスの死後、アンナは、母の業績を未来に生かすため、母性愛に感謝する日を作ろうと考え、命日の日曜礼拝で、母が好んだ五百本の白いカーネーションを列席者に配り、賛同を呼びかけた。

その後、アンナの政財界への訴えに応えて、百貨店主などがキャンペーンに金銭的支援をしたこともあって、一個人の命日の礼拝から始まった母の日は、国民的行事として認められた。さらに、アンナの提案によって、母が死去した人は白、生きている人はピンクのカーネーションを胸につけて感謝を表す単純明快なスタイルは、瞬く問に広がった。 しかし、皮肉なことに、アンナの後半生は、母の日の大衆化との闘いだった。精神よりもプレゼントを贈る娯楽が前面に出てしまったことに、敬虔なキリスト教信者だった彼女は悩んだのだ。

母の日戦争
カーネーションを母の日のシンボルとした花業界や、母の日のカードの商業主義と闘うために、あちこちで訴訟を起こして全財産を失い、失意のままに、一九四八年、世を去った。

母の日のカーネーション商戦には、一八九七年に連続開花のカーネーションが
英国王立園芸協会賞を受けた、アメリカ園芸界の勢いが反映していた。アンナは母の日への純粋な愛を商売で汚された思いだっただろうが、発展する業界にとっては、温室カーネーションの販路拡大に、母の日は絶好のチヤンスだったのである。

一方、イギリスでは、母の日は、イースターの二週間前の日曜日だ。移動祝祭日なので、三月上旬〜四月上旬のいずれかの日曜にあたり、マザーリングサンデー(母親訪問日)と呼ばれている。 これは、教会における聖母マリアヘの崇拝儀式を起源とするものだったが、十七世紀に子供が母に感謝する家庭行事に変化し、十九世紀には家を離れた労働者が、お菓子や花を持って久しぶりに里帰りし、母と食卓を囲む祝日だった。この目、母に贈ったのは道端で摘んだり、花売り娘から買ったスミレやワスレナグサ、スイセンなどだ。

 その後、鉄道や車の発達で、母と子はいつでも会える環境になったため、マザーリングサンデーは廃れたが、戦後にアメリカの母の日に対抗して、イギリスの花業界は自国の伝統を復活させた。春の素朴な花を贈ることが多いので、金額的にはバレンタインデーには及ばないが、バレンタインデーとイースターの間を埋める重要な物日になっている。

日本の母の日は、1915年にアメリカ人宣教師によって紹介され、1947年に制定された。生命を表す赤のカーネーションが定着しているが、これは、生きている母への愛のシンボルに後からなったものだ。

アメリカでは、いまだにカーネーションを胸につける地域もあるが、一般的には、ピンク系の花束やフラワーーアレンジがよく売れる。大切なのは、花の種類や色ではない。「母の日にはピュアな思いを伝えてくれる花のギフトを!」花業界は様々な商品を準備して、消費者にアピールしている。

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