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St.Valentine’s Day/バレンタインデー
『 カードと一緒に花を贈る風習の起源は
恋人たちのために殖教した伝道者の祭り 』
聖バレンタインが愛の守護聖人となった歴史には諸説あって、わからないことが多い。一説によると、死を恐れないように兵士の結婚を禁止していた三世紀のローマで、キリストの伝道者バレンタインは、密かに若者の結婚式を執り行い、二月十四日に処刑されたという。さらに、奇しくもこの日は、古代ローマの豊穣の神を祝う祭りで、男女が踊りやゲームの相手を決めるくじ引きを行い、意中の人ならば恋人にできた。この祭りは、キリスト教が布教された後の六世紀、恋人たちのために殖教した聖バレンタインデーと名前を変えた。 その経緯は明らかではないが、イギリスでは、一五三七年にヘンリー八世が二月一四日を愛の日として正式に認めている。その後、くじでの恋人選びは、風俗を乱すとして禁止されたが、男性が女性にカードや愛の印を贈る風習が生まれた。昔のバレンタインデーでは、贈り物よりも、カードが重要なアイテムだった。
英語のバレンタインとは、バレンタインデーに贈るカードをさす。カードに描かれる愛のシンボルは、従来、ハート、キューピッド、つがいの小鳥だったが、十九世紀半ばにフランスから伝わった花言葉の影響で、花が最もふさわしいものとなる。手作りの紙レースで飾られた美しいカードに、描かれた愛を語る花たち。カードには「私を忘れないで」(ワスレナグサ)、「愛を込めて」(バラ)など、ロマンチックな花言葉が記されていた。
カードと一緒に花を贈る風習は、このころから徐々に始まり、花売り娘が売る温室栽培のワスレナグサやスミレ(真実の愛)、スズラン(幸せの再来)の花束は、ヴィクトリア時代のバレンタインデーを美しく彩った。
この風習は、十九世紀末にフローリストができるとさらに定着し、アメリカでも一九三〇年代から夫が妻に花を贈る日となった。そして、贈られる花も高価な赤バラ(永遠の愛)に変わる。 現在、アメリカで最も花が売れる日はバレンタインデーだ。カップルだけでなく、男女関係なく友達や親戚同士で贈りあう。花の七割はバラで、色は赤が圧倒的に需要が大きい。一ダース百ドル以上でも花束は売れるという。
この傾向は、バレンタインデーに熱心でなかったフランスやドイツにも広がっている。バレンタインデーは、チョコレート会社ではなく、フローリストにとって大切な物日なのだ。
ドイツのフローリスト
バレンタインデーの贈り物にチョコレート会社が参入してきたのは、19世紀末のアメリカだという。これを取り入れた日本のチョコレート商戦は、いまや世界でも有名で、「ギリチョコ」は国際語になりつつあるとか。
ドイツで見たバレンタイン商品は、ハート型のチョコレートと小花を組み合わせて、ブーケにしてあった。ドイツのフローリストは、こうしたできあがった商品を提供するのがうまい。持ちやすい大きさのアレンジや花束が店にたくさん並べられていて、努め帰りの男性でも気楽にかえる。切り花だけでなく、鉢物も工夫を凝らしてラッピングされている。
これは、物日以外でも、日常的に花を贈りあう習慣が社会に根づいているからだ。また、マイスターの称号を持つ、技術力のあるフローリストが多いので、オリジナルなアイディアを生かせるのだろう。花を贈る習慣の浸透度とフローリストのレベルが、いい相関関係を生んでいる。たとえば日本で、プリザーブドフラワーとチョコレートを組み合わせた商品を売り出しても、「なんで花なの?」になってしまうだろう。フローリストの技術はあっても、生活の中で、さりげなく花を贈り合う文化が、まだまだ、発展途上なのである。
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